blog index

竹馬屋(今日の俳句)

「今日の俳句」を改めました。April 2016
俳句関連のつぶやきのプログになります。
一夜酒
一夜酒(ひとよざけ)
甘酒には麹とお米を使って造る「麹甘酒(こうじあまざけ)」と、酒粕を湯水に溶いて作る「酒粕甘酒(さけかすあまざけ)」がある。酒粕と砂糖などを使って造る酒粕甘酒は、酒粕の中にアルコールがたっぷり含まれているから、当然お酒の味が強くなる。しかし本来の麹甘酒は、炊いたご飯に麹とお湯を混ぜ、ひと晩暖かい場所におくとできあがる甘い飲み物で、ひと晩出来ることから「一夜酒」という。酒という字が付いているが、アルコールは一切含まれていない。甘酒は一般的に冬の飲み物だと思われがちだが、歳時記では、甘酒は夏の季語になっている。古文書『守貞漫稿(もりさだまんこう)』の「甘酒売り」の項に、「江戸京坂では夏になると街に甘酒売りが多く出てきて甘酒を売っている。一杯四文である」としるされている。江戸時代は、夏の死亡率が一年中で一番高く、病人や老人、子供を始め、大人でも仕事などで無理が続くと暑さで体力が一気に低下し、亡くなる人が多かったようで、栄養たっぷりの甘酒は体力回復に非常に効き目があり、夏の必需品として人気が高まり、夏の風物詩になったようだ。

(「守貞漫稿」には、おおよそ、「夏の間に売り歩くのは、甘酒売り。 京、大阪は、夏の夜にだけ甘酒1杯6文で売っている。 江戸では、甘酒1杯8文で1年中売っている。 京、大阪も江戸とも売り方は、変わらない。ただ、甘酒の釜は、江戸では、真鍮釜を用いる。 釜は、担ぐ箱の上に置く。京、大阪は、鉄釜を使う。 江戸とは、違い、釜は、箱の中に置く。江戸も鉄釜を使う甘酒売りもいて、その場合は、京、大阪と同じで箱の中に釜を置く。」とある。)


 御仏に昼供へけり一夜酒 蕪村
 舟あつし船頭見えず一夜酒 正岡子規
 あんどんは客の書きけり一夜酒 正岡子規
 日盛りの柱にもたれ一夜酒 鈴木鷹夫
 芝居はね横丁に酌む一夜酒 飯泉善一郎
 飲みごろの熱さを味の一夜酒 鷹羽狩行


一夜といえば、「一夜草(ひとよぐさ)」がある。こちらは春の季語。
春の野にすみれ摘みにと来し我ぞ野をなつかしみ一夜寝にける(山部赤人『万葉集』)
この和歌から、「菫」は、『一夜草』と呼ばれるようになったようだ。
「月見草」や「待宵草(まつよいぐさ)」などのように、夜、咲いて、朝にはしぼんでしまう花を、「一夜花(ひとよばな)」というが、「菫」の場合は、そうではない。立ち去ることができず、一夜を過ごしてしまうほど、いとおしい花だということなのだ。ゆかしい紫の花びらと、飾り気のない姿。うつむき加減に恥らう素直な様子が、人々の足を、止めてしまうのでしょう。じつは、「菫」には、「二夜草(ふたよぐさ)」という異称もある。一夜、また一夜と重ねて、さらに愛情を深めていったのだ。今でも、心から愛され続けている花だ。

 一夜草夢さましつついにしへの花と思へばけふも摘むらん (蔵玉集)
 馬齢とて齢の中や一夜草 西村半石
 菫ほどな小さき人 に生まれたし 夏目漱石
 
| 竹馬屋 | | 14:05 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
嬬恋


葛咲くや嬬恋村の字(あざ)いくつ 石田波郷

石田波郷第二句集『風切』所収。季語は「葛の花」で初秋。
1942年(昭和17年)8月の作。年譜には、「秩父、伊豆、軽井沢、沓掛などへ旅行」とある。
波郷はこの年6月27日に結婚。結婚後すぐに伊香保へ新婚旅行に行っているが、この8月の旅には新妻を伴っていたのかはわからない。
波郷の自句自解には、「草津にいる義妹(妻あき子の妹)を迎えにゆく途中、沓掛軽井沢に遊び、・・・一村が一郡の大きさをもつという嬬恋村の字々(あざあざ)を通り抜けた(「波卿百句」)。」とある。「嬬恋村」の「嬬」は、新妻あき子を読者に連想させる。「字(あざ)いくつ」は嬬恋村の大きさとともに妻を想う気持ちの大きさをも暗示する。単に妻を恋うというだけではなく、健康的な肉体的欲望の表出が「葛咲くや」にはあるとも読める。葛と嬬恋という美しい地名がぴったり照応していると歳時記には記される。

天明3年(1783年)の浅間山の大噴火では鎌原村(現在の鎌原地区)が火砕流や土石流に飲み込まれ、同地区の住居は壊滅したが、その折に唯一残ったのが観音堂だった。この観音堂の隣りにある嬬恋郷土資料館の前に波郷自筆の句碑が設けられている。嬬恋村発足100周年の記念として建てられたものという。
| 竹馬屋 | | 20:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
霜くすべ

晩春、桑の葉が出て茎が伸びるころに、霜にやられないように養蚕家は晴れあがって霜の降りそうな晩には、青柴や籾殻、松葉などを焚いて煙幕を作り霜害を防ぐ。桑畑があった頃には、朝霜を避ける煙が漂っていた。

暗がりに人声のする霜くすべ 石田勝彦
茶どころの嬉野はいま霜くすべ 森 澄雄
霜くすべ土湯峠を下り来れば 阿波野青畝

遠山の裾にうつすら霜くすべ
湯の里のしらむ星夜や霜くすべ
 
| 竹馬屋 | | 10:28 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
竹馬
浅草神社にはいろいろな碑が建っています。
「ほのぼのと明石の浦の朝霧に島かくれゆく船をしぞ思う」粧太夫書万葉歌碑。蕋雲(文化年間の遊女で源氏名を粧太夫)書人麻呂歌碑。
「生きるということむずかしき夜寒かな」川口松太郎
「翁の文宇まだ身にそはず衣がえ」市川猿翁(三代目猿之助)

浅草神社にある久保田万太郎句碑。
「竹馬やいろはにほへとちりぢりに」
含意の多い句。
子供たちが、竹馬遊びをしているのを眺めている「叙景句」。
幼友達が長じていくにつれて別れ別れになり、今はどこにいるのやら…という「抒情句」。
「いろはにほへとちりぬるを」のもじった「言葉遊び」。
竹馬歩きのおぼつかなさ。文字通りに「いろはにほへと」と一緒に習った仲間たちへの想い。成人して「色は匂えど」。それらが、いまはすべて「ちりぢりに」なってしまった。子供のころ、まだまだ遊んでいたいのに夕暮れが来て、竹馬遊びの仲間たちがそれぞれの家に「ちりぢりに」帰っていったように…。

<竹馬之友>
一緒に竹馬(ちくば)にまたがって遊んだ友達の意。 中国の竹馬は、竹の棒を馬に見立てて前にたてがみをつけ,またがって後ろを地に引きながら走りまわる。日本で「春駒」と呼ばれた玩具はこれの発達したもの。


東晋の桓温(かんおん)は、幼友達の殷浩(いんこう)と並び称されることが不満で、都から追い払うとき「少き時,われ浩と共に竹馬に騎す、われ棄て去るに、浩すなわちこれを取る」、だから殷浩は俺より下なんだと言いはったという、『晋書』殷浩伝に見える逸話からうまれた言葉という。
最初の「竹馬之友」は,仲良しではなく、子供の頃からのライバルということだったのだろうか。

<青梅竹馬>
これは、異性の幼馴染。《伊勢物語》の“筒井筒”のような幼馴染。
樋口一葉の「たけくらべ」の中国語訳がこの「青梅竹馬」となっている。
 
| 竹馬屋 | | 09:54 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ツイッター再開
2014年1月29日で休止していた「杉竹」を改め、「竹馬屋」として、俳句関連のつぶやきを再開した。
こちらも再開して、そのつぶやきをまとめる。

竹馬とは、辞書によれば「・・・ 竹かごの周囲に竹を四本組み合わせたものを,棒の両端に天秤(てんびん)のように下げるようにし,中に品物を入れて運んだもの。江戸時代に,行商人などが用いた。 「竹馬古着屋」の略。 江戸時代,竹馬 を天秤(てんびん)棒で担い,小切れや古着を売り歩いた商人。」とある。
「竹具の四足なるを担う。故に竹馬と云う。古衣服および古衣を解き分かちて、衿あるいは裡(うら)、その他所要の古物を売る。」
江戸の町では、富沢町(現中央区日本橋)は有名な古着屋の町で、「毎朝晴天の日は大路に筵を敷き諸古衣服を並べ、また店にもこれを並べ、同賈(か)(店)および諸人に之を売る。」この富沢町の場合は、どちらかと云えば上等な品が多く、浅草橋から神田川右岸をさかのぼった柳原は、あまり上等でないものを扱う屋台が並んでいた。この「竹馬古着屋」は、それよりも、もう一段下がった物を扱っていたのだろう。
「古着売り」は、担ぎ棒の前後に古着を何枚も重ね、特に前の荷は高く積み重ね、その上から風呂敷をか撫せていたので、馬の首のようになってしまい「竹馬きれ売り」とも呼ばれたという説もある。



古着を贖い自分の着物にうまくまとめるというのも一興。

行春や我を見たをす古着買 一茶
(「見たふす」というのは、「さげすんで見る、安く値切り倒す」の両意。暖かな季節になりって今まで着ていた古着を売りったが、足元を見られて値切られた。俺も古着も見倒され価値が認められず悔しいことだ。)
こんな句があるが、見たおされた我を発奮させて、色々詠んでみたい。

顔に似ぬ発句も出でよ初桜 芭蕉
朧夜や顔に似合ぬ恋もあらん 漱石
わが恋は末摘花の莟かな 子規

何やらお話も作れそうですが、
顔に似ぬ恋もしたるや朧月 竹馬屋
闇の夜に末摘花の莟摘む 竹馬屋


 
| 竹馬屋 | | 17:14 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  
<< November 2017 >>

bolg index このページの先頭へ