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竹馬屋(今日の俳句)

「今日の俳句」を改めました。April 2016
俳句関連のつぶやきのプログになります。
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「青梅竹馬」の出典
「青梅竹馬」は、李白の楽府「長干行」が出典という。
李白は楽府も多く作っている。楽府とは歌謡曲のようなもので、音楽にあわせて歌うことを目的に作られた詩。庶民的な内容のものが多く、この詩も、庶民の男女の愛を歌ったもので、六朝時代の楽府を下敷きにしていて、李白三十歳代の作品だとされる。

 《長干行》 李白
 妾髮初覆額,折花門前劇。
 郎騎竹馬來,遶牀弄青梅。
 同居長干里,兩小無嫌猜。
 十四為君婦,羞顏未嘗開。 (一作 羞顏尚不開)
 低頭向暗壁,千喚不一迴。
 十五始展眉,願同塵與灰。
 常存抱柱信,豈上望夫臺。 (一作 恥上望夫臺)
 十六君遠行,瞿塘灩澦堆。
 五月不可觸,猿聲天上哀。 (一作 猿鳴天上哀)
 門前遲行跡,一一生兮檗(一作 門前舊行跡, 一一生蒼苔)
 苔深不能掃,落葉秋風早。
 八月蝴蝶來,雙飛西園草。 (一作 八月胡蝶黃)
 感此傷妾心,坐愁紅顏老。
 早晚下三巴,預將書報家。
 相迎不道遠,直至長風沙。

「長干行」 李白
妾が髮初めて額を覆ふとき、花を折って門前に劇(たはむ)る。
郎は竹馬に騎って来り、床を遶(めぐ)りて青梅を弄(もてあそ)ぶ。
同じく長干の里に居り、両(ふた)つながら小(おさな)くして嫌猜(けんさい)無し。
十四 君が婦(つま)と為り、羞顏 未だ嘗て開かず。
頭を低れて暗壁に向ひ、千喚(せんかん)に一も回(めぐ)らさず。
十五 始めて眉を展(の)べ、願はくは塵と灰とを同じゅうせん。
常に抱柱の信を存し、豈(あ)に望夫台に上らんや。
十六 君遠く行く、瞿塘(くとう) 艶澦堆(えんよたい)。
五月 触るるべからず、猿鳴 天上に哀し。
門前 遲行の跡、一一 兮櫃鮴犬此
苔深くして掃ふ能はず、落葉 秋風早し。
八月 蝴蝶來り、雙び飛ぶ西園の草。
此に感じて妾が心を傷ましめ、坐(そぞろ)に愁ふ紅顏の老ゆるを。
早晩(いつか)三巴(さんぱ)を下らん、預(あらかじ)め書を將(も)って家に報ぜよ。
相ひ迎ふるに遠きを道(い)はず、直ちに長風沙に至らん。

(長江下流の商人船頭の妻の生活、男女の愛を詠う。)
私の髪がやっと額を覆うようになってきた頃、何の憂いもなく、門前のあたりで花を摘んで遊んでいました。
我が夫もそのころは竹馬に乗ってやってきて、寝床(井桁)のまわりを回っては青い梅の実をもてあそんでいたのでした。
何せ、同じように長干の里にいて、幼い二人とも何の疑いもなく、仲睦まじかったのです。
14歳であなたの妻になり、恥ずかしさで、はにかんで笑顔も作れないままでした。
うなだれて壁に向かっては、千度呼ばれても、一度も振り向かないでいました。
15歳でやっと眉をほころばせて笑うことができるようになり、ともに寄り添い灰になるまで一緒にいたいと願うようになりました。
あなたの愛は尾生の抱柱の信のように堅固でしたから、わたしが望夫臺に上って夫の帰りを待ちわびるようになろうとは思いもしませんでした。
16歳になったとき、あなたは遠くへ旅立ち、長江の難所である瞿塘峡、灔澦堆の方にいっってしまわれました。
5月の増水期にはとても近づくことも出来ないところで、そこには野猿がいて、その泣き声だけが大空に悲しそうに響きわたるといいます。
私たちの家の門前には、あなたが旅立ちの時、行ったり、戻ったりしていたその足跡の上には、いまは一つ一つと青いコケが生えてきています。
その苔が深くびっしりと生えていて、とても払いきれるものではなく、そこに枯れ葉が落ちはじめて、早くも秋風が吹くのです。
仲秋の八月には、つがいの蝶が飛んできて、二羽ならんで西の庭園の草花の上を仲良く並んで飛び回ります。
それを見るとおもわず心にあなたを思い、私の心は痛み、このまま紅顏が老いゆくのかとむなしく悲しくなります。
いったいいつになったらあなたは三巴の長江を下って帰えってこられるのでしょうか、そのときはあらかじめ我が家に手紙で知らせてくださいませ。
お迎えをするのに、遠いと思うことなどありません、このまままっすぐに、長風沙まででも参ります。

長干は南京郊外の地名、行とは楽府の題の一種。
この地を舞台に、少女の初恋から結婚を経て、遠征せざるを得なかった夫の帰りを待ちわびるまでの一連の心の動きを歌っていて、李白の詩の中でも、感性にあふれた作品として人気が高い。

「抱柱の信」とは「荘子」に出てくる故事。
橋の下で女と会う約束をして待っていた尾生(びせい)という男が、川嵩がまして身に危険が及んだにかかわらず、女との約束を果たそうとして柱に抱きついたまま死んだという内容から、信義を重んじる喩えとして用いらる。「尾生の信」とも。また、ばか正直で、融通のきかないたとえとしても使われるよう。
「三巴」 巴・巴東・巴西の三郡の地域。現在の四川省東部一帯。
「長風沙」 現在の安徽省安慶市の長江沿いの地域。南京から350キロ上流にある。
「遶牀」に対しては「牀」が井牀か、ベッドか、物を置く台(几案)か。解釈はいろいろある。
【「遶牀弄青梅」は男児の行為であるが、この順序で行われたと取る必要はなく、「梅を弄しつつ、牀を遶った」と考えればよい。「擲果」は女性から男性への愛情表現であるという原則に照らせば、今男児の手に梅があることは、女児から男児へ擲果が行われたことを意味する。女児からの好意の表明に対し、男児は婚姻儀礼の真似である「遶牀」を行い、自分も女児に好意を持つことを示した。この「牀」は唐代の婚礼における「廬」に当たり、「井」は婚礼の際に不吉なものとされていたことからすれば、井げたではなく、ベッドと考えるべき】という考察がある。
 
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