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竹馬屋(今日の俳句)

「今日の俳句」を改めました。April 2016
俳句関連のつぶやきのプログになります。
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野馬(かげろふ)
東の野にかぎろひの立つ見えて返り見すれば月かたぶきぬ 柿本人麻呂

「陽炎」は春の季語であるが、子季語に「野馬(かげろう・やば)、糸遊、遊糸、陽炎燃ゆ、陽焔、かげろひ、かぎろひ」がある。
陽炎を「野馬」と表記する例は「荘子」に見えるが、名の由来は分からない。

「荘子(逍遥遊篇)」より。
「 野馬也 、 塵埃也 , 生物之以息相吹也。天之蒼蒼,其正色邪?其遠而無所至極邪?其視下也,亦若是則已矣。」
野馬(かげろう)と塵埃(じんあい)と生物の息を以て相吹くなり。天の蒼蒼たるは、その正しき色なるか、その遠くして極みに至ることなきためか。その下を視るや、また是くの若くならんのみ。
(地上でかげろうが立ち上り、塵が舞い上がるのは、生きとしいけるものがお互いに息を吹きあうからである。その遥かな高みに広がっている天空の美しい蒼さは、天空の本当の色なのか、それとも天空と地上が隔たっていて遥かに遠く離れているからそう見えるのか。逆に鵬が九万里の高い上空から下界の地上を見下ろした時には、また地上の世界のほうもこのように美しい空のような蒼に見えるにちがいない。 )
荘子は、空の青さに、宇宙の生命環境を見ていたようだ。
確かに「地球は青かった。」ガガーリンが見たように。

蜃気楼も和名が貝櫓というように大蛤の息が楼を形づくるというが、「生物之以息相吹也」の思想に継っているのだろうか。


野馬(かげろふ)に子共あそばす狐哉 野沢 凡兆
野馬のゆすり起すや盲蛇 内藤丈草
野馬やあとのさびしき小大名 河野 李由

陽炎の抱きつけばわがころもかな 越智越人(蕉門十哲の一人)
(注)漢武帝と籠姫・李夫人を描く。李夫人亡き後、武帝が幻に抱きついた、という場面。
陽炎の中にうごめく衆生(しゅじょう)かな 小林一茶
(注)衆生は一切の生物(人間や動物)。
陽炎や石の魂(たましい)猶(なお)死なず 正岡子規
ちらちらと陽炎立ちぬ猫の塚 夏目漱石

草深き野に野馬(かげろう)のもつれあふ
 
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