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竹馬屋(今日の俳句)

「今日の俳句」を改めました。April 2016
俳句関連のつぶやきのプログになります。
躑躅

つつじは、晩春から初夏にかけて、色とりどりの花を咲かす。赤いつつじは火のように群れ咲き、白いつつじは雪のように群れ咲く。桜が散ったあとに、公園や街路を彩る花で、春の季語。
つつじの一種で「さつきつつじ」「さつき」は夏の季語。
漢字表記の「躑躅 」について、「字源」には、「躑躅 テキチヨク はあしぶみする。荀、禮論、註「─躅以足擊地也」又、行きて進まず、たちもとほる貌。=蹢躅·踟躕。又、つつじ、灌木の一種、四五月頃美花を開く、花に毒あり、羊之を食はんとしてたちもとほふる、故に名づくといふ。=杜鵑花。」とある。
「羊躑躅(ヨウテキチャク。ツツジの一種)」とも。(大漢和辞典)
羊がその葉を食べると、「躑躅」して死ぬ。それで「羊躑躅」という」とう説、また、食べれば死ぬので、羊たちはこの葉を見ると「躑躅」して散り散りに分かれてしまう、だから「羊躑躅」という名を付けた、という説もある。
和名の「つつじ」の語源は、「ツヅキサキギ」で続き咲き木の意の説や、「ツヅリシゲル」で綴り茂る意などの説がある。また、つつじのラッパ形をした花の筒形の中から長く突き出たオシベの意で古代人が「ツツシベ」と呼び、語源としてツツジの名に音韻転訛したとする説もある。
躑躅色とは、鮮やかな紫みの赤、紫味の鮮やかなピンク。アザレアピンク。

以前の句を拾う。春と夏の句がある。ツツジに初夏の風を感じるのは私だけなのだろうか。
つつじ咲く里に偲びぬこぞの君
庭隅に来ぬ人待つや山躑躅
初夏の高原に咲く山躑躅
高原の躑躅を濡らす夏の雨
追憶の香に包まれむ白躑躅
白躑躅追慕する影膝折りて
| 竹馬屋 | - | 16:55 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
半仙戯(はんせんぎ)

辞書に当たると「【唐の玄宗が寒食(かんしよく)の日に,宮女に半仙戯(鞦韆(しゆうせん))の遊戯をさせたことから。「半仙戯」は半ば仙人になったような気分にさせる遊びの意】ぶらんこ。」とある。(大辞林)
玄宗皇帝が「羽化登仙(人間に羽が生えて仙人となり天に登ること)の感を味わう」という意味で、ぶらんこ・鞦韆(秋千・しゅうせん・ふらここ)に与えた名のよえである。
「羽化登仙」とは、【中国古代の信仰で、からだに羽が生え仙人となって天へのぼること。また、酒に酔ってよい気持ちになったときのたとえにいう】とある。
 「羽化登仙の境に遊ぶ」は「雲雨に遊ぶ」と同じく男女の睦みごとの歓びをいうのかとも思われる。
『日本大歳時記』(講談社)には、「古来中国では鞦韆と言って寒食の節の宮嬪たちの戯れとした。盛装の宮女たちが裾をひるがえして戯れるところに、艶なるエロティシズムがただよい、漢詩には春の景物として詠まれている。蘇東坡の『春夜』の詩、『春宵一刻値千金、花有清香月有陰、歌管楼台声寂寂、鞦韆院落夜沈沈』が、この語を春の季語とした理由で『滑稽雑談』に春の季語として掲げている」とある。

「點絳脣」 李清照
蹴罷鞦韆 起來慵整纖纖手
露濃花瘦 薄汗輕衣透
見有人來 襪鏟金釵溜
和羞走 倚門回首
卻把青梅嗅
揺れるブランコこぎ終えて
物憂げ整ふ乱れ髪、
露は濃くして花凋(しぼ)み
薄き衣(ころも)を透かす汗。
君来たれるを見し時に
かざし抜くるも走り行き
はじらひしまま隠れ往ぬ、
門(かど)に寄り添ひ垣間見(かいまみ)すれば
掌(て)に置く梅の青く香(かんば)し。

はづかしき齢も過ぎぬ半仙戯 大石悦子

これまでに「半仙戯」で詠んだ自作を拾ってみる。

二人して遊べる庭の半仙戯春の朧の月影優し
春風を頬に受けつつ半仙戯今宵は人の待つとしられし
陽を受けて老婆の漕げる半仙戯
飛び降りて裳裾揺らすや半仙戯
恋しきはむかしの春や半仙戯

こちらは今朝の句。
飛びたきも繋がれしまま半仙戯
風光り羽化登仙に髪なびく
 
| 竹馬屋 | - | 07:49 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
霜くすべ

晩春、桑の葉が出て茎が伸びるころに、霜にやられないように養蚕家は晴れあがって霜の降りそうな晩には、青柴や籾殻、松葉などを焚いて煙幕を作り霜害を防ぐ。桑畑があった頃には、朝霜を避ける煙が漂っていた。

暗がりに人声のする霜くすべ 石田勝彦
茶どころの嬉野はいま霜くすべ 森 澄雄
霜くすべ土湯峠を下り来れば 阿波野青畝

遠山の裾にうつすら霜くすべ
湯の里のしらむ星夜や霜くすべ
 
| 竹馬屋 | | 10:28 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
野馬(かげろふ)
東の野にかぎろひの立つ見えて返り見すれば月かたぶきぬ 柿本人麻呂

「陽炎」は春の季語であるが、子季語に「野馬(かげろう・やば)、糸遊、遊糸、陽炎燃ゆ、陽焔、かげろひ、かぎろひ」がある。
陽炎を「野馬」と表記する例は「荘子」に見えるが、名の由来は分からない。

「荘子(逍遥遊篇)」より。
「 野馬也 、 塵埃也 , 生物之以息相吹也。天之蒼蒼,其正色邪?其遠而無所至極邪?其視下也,亦若是則已矣。」
野馬(かげろう)と塵埃(じんあい)と生物の息を以て相吹くなり。天の蒼蒼たるは、その正しき色なるか、その遠くして極みに至ることなきためか。その下を視るや、また是くの若くならんのみ。
(地上でかげろうが立ち上り、塵が舞い上がるのは、生きとしいけるものがお互いに息を吹きあうからである。その遥かな高みに広がっている天空の美しい蒼さは、天空の本当の色なのか、それとも天空と地上が隔たっていて遥かに遠く離れているからそう見えるのか。逆に鵬が九万里の高い上空から下界の地上を見下ろした時には、また地上の世界のほうもこのように美しい空のような蒼に見えるにちがいない。 )
荘子は、空の青さに、宇宙の生命環境を見ていたようだ。
確かに「地球は青かった。」ガガーリンが見たように。

蜃気楼も和名が貝櫓というように大蛤の息が楼を形づくるというが、「生物之以息相吹也」の思想に継っているのだろうか。


野馬(かげろふ)に子共あそばす狐哉 野沢 凡兆
野馬のゆすり起すや盲蛇 内藤丈草
野馬やあとのさびしき小大名 河野 李由

陽炎の抱きつけばわがころもかな 越智越人(蕉門十哲の一人)
(注)漢武帝と籠姫・李夫人を描く。李夫人亡き後、武帝が幻に抱きついた、という場面。
陽炎の中にうごめく衆生(しゅじょう)かな 小林一茶
(注)衆生は一切の生物(人間や動物)。
陽炎や石の魂(たましい)猶(なお)死なず 正岡子規
ちらちらと陽炎立ちぬ猫の塚 夏目漱石

草深き野に野馬(かげろう)のもつれあふ
 
| 竹馬屋 | - | 21:42 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「青梅竹馬」の出典
「青梅竹馬」は、李白の楽府「長干行」が出典という。
李白は楽府も多く作っている。楽府とは歌謡曲のようなもので、音楽にあわせて歌うことを目的に作られた詩。庶民的な内容のものが多く、この詩も、庶民の男女の愛を歌ったもので、六朝時代の楽府を下敷きにしていて、李白三十歳代の作品だとされる。

 《長干行》 李白
 妾髮初覆額,折花門前劇。
 郎騎竹馬來,遶牀弄青梅。
 同居長干里,兩小無嫌猜。
 十四為君婦,羞顏未嘗開。 (一作 羞顏尚不開)
 低頭向暗壁,千喚不一迴。
 十五始展眉,願同塵與灰。
 常存抱柱信,豈上望夫臺。 (一作 恥上望夫臺)
 十六君遠行,瞿塘灩澦堆。
 五月不可觸,猿聲天上哀。 (一作 猿鳴天上哀)
 門前遲行跡,一一生兮檗(一作 門前舊行跡, 一一生蒼苔)
 苔深不能掃,落葉秋風早。
 八月蝴蝶來,雙飛西園草。 (一作 八月胡蝶黃)
 感此傷妾心,坐愁紅顏老。
 早晚下三巴,預將書報家。
 相迎不道遠,直至長風沙。

「長干行」 李白
妾が髮初めて額を覆ふとき、花を折って門前に劇(たはむ)る。
郎は竹馬に騎って来り、床を遶(めぐ)りて青梅を弄(もてあそ)ぶ。
同じく長干の里に居り、両(ふた)つながら小(おさな)くして嫌猜(けんさい)無し。
十四 君が婦(つま)と為り、羞顏 未だ嘗て開かず。
頭を低れて暗壁に向ひ、千喚(せんかん)に一も回(めぐ)らさず。
十五 始めて眉を展(の)べ、願はくは塵と灰とを同じゅうせん。
常に抱柱の信を存し、豈(あ)に望夫台に上らんや。
十六 君遠く行く、瞿塘(くとう) 艶澦堆(えんよたい)。
五月 触るるべからず、猿鳴 天上に哀し。
門前 遲行の跡、一一 兮櫃鮴犬此
苔深くして掃ふ能はず、落葉 秋風早し。
八月 蝴蝶來り、雙び飛ぶ西園の草。
此に感じて妾が心を傷ましめ、坐(そぞろ)に愁ふ紅顏の老ゆるを。
早晩(いつか)三巴(さんぱ)を下らん、預(あらかじ)め書を將(も)って家に報ぜよ。
相ひ迎ふるに遠きを道(い)はず、直ちに長風沙に至らん。

(長江下流の商人船頭の妻の生活、男女の愛を詠う。)
私の髪がやっと額を覆うようになってきた頃、何の憂いもなく、門前のあたりで花を摘んで遊んでいました。
我が夫もそのころは竹馬に乗ってやってきて、寝床(井桁)のまわりを回っては青い梅の実をもてあそんでいたのでした。
何せ、同じように長干の里にいて、幼い二人とも何の疑いもなく、仲睦まじかったのです。
14歳であなたの妻になり、恥ずかしさで、はにかんで笑顔も作れないままでした。
うなだれて壁に向かっては、千度呼ばれても、一度も振り向かないでいました。
15歳でやっと眉をほころばせて笑うことができるようになり、ともに寄り添い灰になるまで一緒にいたいと願うようになりました。
あなたの愛は尾生の抱柱の信のように堅固でしたから、わたしが望夫臺に上って夫の帰りを待ちわびるようになろうとは思いもしませんでした。
16歳になったとき、あなたは遠くへ旅立ち、長江の難所である瞿塘峡、灔澦堆の方にいっってしまわれました。
5月の増水期にはとても近づくことも出来ないところで、そこには野猿がいて、その泣き声だけが大空に悲しそうに響きわたるといいます。
私たちの家の門前には、あなたが旅立ちの時、行ったり、戻ったりしていたその足跡の上には、いまは一つ一つと青いコケが生えてきています。
その苔が深くびっしりと生えていて、とても払いきれるものではなく、そこに枯れ葉が落ちはじめて、早くも秋風が吹くのです。
仲秋の八月には、つがいの蝶が飛んできて、二羽ならんで西の庭園の草花の上を仲良く並んで飛び回ります。
それを見るとおもわず心にあなたを思い、私の心は痛み、このまま紅顏が老いゆくのかとむなしく悲しくなります。
いったいいつになったらあなたは三巴の長江を下って帰えってこられるのでしょうか、そのときはあらかじめ我が家に手紙で知らせてくださいませ。
お迎えをするのに、遠いと思うことなどありません、このまままっすぐに、長風沙まででも参ります。

長干は南京郊外の地名、行とは楽府の題の一種。
この地を舞台に、少女の初恋から結婚を経て、遠征せざるを得なかった夫の帰りを待ちわびるまでの一連の心の動きを歌っていて、李白の詩の中でも、感性にあふれた作品として人気が高い。

「抱柱の信」とは「荘子」に出てくる故事。
橋の下で女と会う約束をして待っていた尾生(びせい)という男が、川嵩がまして身に危険が及んだにかかわらず、女との約束を果たそうとして柱に抱きついたまま死んだという内容から、信義を重んじる喩えとして用いらる。「尾生の信」とも。また、ばか正直で、融通のきかないたとえとしても使われるよう。
「三巴」 巴・巴東・巴西の三郡の地域。現在の四川省東部一帯。
「長風沙」 現在の安徽省安慶市の長江沿いの地域。南京から350キロ上流にある。
「遶牀」に対しては「牀」が井牀か、ベッドか、物を置く台(几案)か。解釈はいろいろある。
【「遶牀弄青梅」は男児の行為であるが、この順序で行われたと取る必要はなく、「梅を弄しつつ、牀を遶った」と考えればよい。「擲果」は女性から男性への愛情表現であるという原則に照らせば、今男児の手に梅があることは、女児から男児へ擲果が行われたことを意味する。女児からの好意の表明に対し、男児は婚姻儀礼の真似である「遶牀」を行い、自分も女児に好意を持つことを示した。この「牀」は唐代の婚礼における「廬」に当たり、「井」は婚礼の際に不吉なものとされていたことからすれば、井げたではなく、ベッドと考えるべき】という考察がある。
 
| 竹馬屋 | - | 13:34 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
竹馬
浅草神社にはいろいろな碑が建っています。
「ほのぼのと明石の浦の朝霧に島かくれゆく船をしぞ思う」粧太夫書万葉歌碑。蕋雲(文化年間の遊女で源氏名を粧太夫)書人麻呂歌碑。
「生きるということむずかしき夜寒かな」川口松太郎
「翁の文宇まだ身にそはず衣がえ」市川猿翁(三代目猿之助)

浅草神社にある久保田万太郎句碑。
「竹馬やいろはにほへとちりぢりに」
含意の多い句。
子供たちが、竹馬遊びをしているのを眺めている「叙景句」。
幼友達が長じていくにつれて別れ別れになり、今はどこにいるのやら…という「抒情句」。
「いろはにほへとちりぬるを」のもじった「言葉遊び」。
竹馬歩きのおぼつかなさ。文字通りに「いろはにほへと」と一緒に習った仲間たちへの想い。成人して「色は匂えど」。それらが、いまはすべて「ちりぢりに」なってしまった。子供のころ、まだまだ遊んでいたいのに夕暮れが来て、竹馬遊びの仲間たちがそれぞれの家に「ちりぢりに」帰っていったように…。

<竹馬之友>
一緒に竹馬(ちくば)にまたがって遊んだ友達の意。 中国の竹馬は、竹の棒を馬に見立てて前にたてがみをつけ,またがって後ろを地に引きながら走りまわる。日本で「春駒」と呼ばれた玩具はこれの発達したもの。


東晋の桓温(かんおん)は、幼友達の殷浩(いんこう)と並び称されることが不満で、都から追い払うとき「少き時,われ浩と共に竹馬に騎す、われ棄て去るに、浩すなわちこれを取る」、だから殷浩は俺より下なんだと言いはったという、『晋書』殷浩伝に見える逸話からうまれた言葉という。
最初の「竹馬之友」は,仲良しではなく、子供の頃からのライバルということだったのだろうか。

<青梅竹馬>
これは、異性の幼馴染。《伊勢物語》の“筒井筒”のような幼馴染。
樋口一葉の「たけくらべ」の中国語訳がこの「青梅竹馬」となっている。
 
| 竹馬屋 | | 09:54 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ツイッター再開
2014年1月29日で休止していた「杉竹」を改め、「竹馬屋」として、俳句関連のつぶやきを再開した。
こちらも再開して、そのつぶやきをまとめる。

竹馬とは、辞書によれば「・・・ 竹かごの周囲に竹を四本組み合わせたものを,棒の両端に天秤(てんびん)のように下げるようにし,中に品物を入れて運んだもの。江戸時代に,行商人などが用いた。 「竹馬古着屋」の略。 江戸時代,竹馬 を天秤(てんびん)棒で担い,小切れや古着を売り歩いた商人。」とある。
「竹具の四足なるを担う。故に竹馬と云う。古衣服および古衣を解き分かちて、衿あるいは裡(うら)、その他所要の古物を売る。」
江戸の町では、富沢町(現中央区日本橋)は有名な古着屋の町で、「毎朝晴天の日は大路に筵を敷き諸古衣服を並べ、また店にもこれを並べ、同賈(か)(店)および諸人に之を売る。」この富沢町の場合は、どちらかと云えば上等な品が多く、浅草橋から神田川右岸をさかのぼった柳原は、あまり上等でないものを扱う屋台が並んでいた。この「竹馬古着屋」は、それよりも、もう一段下がった物を扱っていたのだろう。
「古着売り」は、担ぎ棒の前後に古着を何枚も重ね、特に前の荷は高く積み重ね、その上から風呂敷をか撫せていたので、馬の首のようになってしまい「竹馬きれ売り」とも呼ばれたという説もある。



古着を贖い自分の着物にうまくまとめるというのも一興。

行春や我を見たをす古着買 一茶
(「見たふす」というのは、「さげすんで見る、安く値切り倒す」の両意。暖かな季節になりって今まで着ていた古着を売りったが、足元を見られて値切られた。俺も古着も見倒され価値が認められず悔しいことだ。)
こんな句があるが、見たおされた我を発奮させて、色々詠んでみたい。

顔に似ぬ発句も出でよ初桜 芭蕉
朧夜や顔に似合ぬ恋もあらん 漱石
わが恋は末摘花の莟かな 子規

何やらお話も作れそうですが、
顔に似ぬ恋もしたるや朧月 竹馬屋
闇の夜に末摘花の莟摘む 竹馬屋


 
| 竹馬屋 | | 17:14 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
俳句を楽しむ
「俳句を楽しむ」
   某所での卓話の記録。(赤字が配布したレジメ)


落語で「雑俳」というお噺があります。
例の八つあんがご隠居のもとにやってきまして
八「ちわっ、ご隠居、毎日、家にいて、退屈しません?」
隠「私にも道楽はあってね。俳諧(はいかい)をやってますから。」
八「変わった道楽だね。ハエを飼うの?」
隠「いやいや発句ですよ。」
八「シャツにくっ付いてるヤツ?」
隠「そりゃ留め金のホック。」
八「あっしだって俳諧くらい知ってますよ。『初雪やトンビ転んで河童の屁』ってやつでしょ。」、 といった感じで始まりますが、
この御隠居は「ん、まぁ。俳諧のいいところは老いも若きも老若男女金持ちも貧乏人もみんな平らに付き合えるのがいい」といいます。
 
山口です。国語教師を定年退職して、十年余りになりますが、この御隠居のように俳句を趣味にして毎日句作りに励んでおります。
今日は、芭蕉が「花の雲鐘は上野か浅草か」と詠っている浅草で、俳句のお話しをさせていただきます。
レジメをご覧頂きますと、最後に変な空欄がございますが、今回の企画では「浅草」をみなさんで詠むということを提案いたします。この時間内に一句作ってみることで俳句の楽しさを分かって頂けたらと思います。話を聞きながらこの時間内に一句ひねり出してこの空欄にご記入していただきます。
しかし、こうしてこちらに立ってみますと、思いのほか人生のベテランの方がお集まりで、今更俳句の入門でもないとお思いの方もおられようかと思いますが、人生またまだなごうございます。私の母は 九十三歳で逝きましたが、七十を迎えた頃仕事に暇ができて書道をはじめまして、死ぬ半月前まで筆を執っておりました。楽しみを見つけるのに年は関係ないかと思いますので、つたないながら「俳句入門」のお話をさせて頂きます。
ゴルフをおやりの方も多いかと思いますが、言ってみればゴルフ愛好のじいさんがゴルフとはという話をするようなものですので、しばらくご我慢のほどお願い申します。ゴルフは体力がいりますが、俳句は足腰動かなくなってもよいよいでもできるのが強みでしょうか。
 
世界を眺めてもこんなに国民に広がっている文芸はありません。それほど俳句はだれにでも作ることの出来るやさしい親しみやすい文芸といえます。俳句人口は、一説には、七百万とも言われますが、人口調査から「小説、詩、などの文芸創作」をしている人が四00万人強といわれます。おおむねこの六〜七割が俳句愛好者という捉え方もあります。現在日本中に800以上もある俳句結社の中には、会員数(発行部数)2〜3万人の『ホトトギス』なんてのもありますが、その辺に転がっているのが俳句愛好者です。俳句は、多くの人に親しまれている「日本の詩歌の伝統的なリズムで作られた短詩」ということができます。
 
さっきのお噺の続きですが、
「八つあんもやってみなさい」
「どうやるの」
「おまり考えず構えず自然に思ったことや見たままを言えば良いんだ。五七五で『なになにや何が何して何とやら』と言えば良いんですよ」
「そのまま言えば良いんだね。『朝起きて顔を洗って飯を食う』、と言うのは・・・」
「当たり前すぎるな。それに俳句には季節、季題が無いと駄目。「句を作らんと土手にきたれば花筏」きれいだろ」
「季題(きらい)ね〜、それ好きにならないとダメ?」
「題を出すからやってごらん。『春雨』なんかどうだ、出来るかい」
「『船底をガリガリかじる春の鮫』」
「初雪でどうだ」、
「『初雪や方々の屋根が白くなる』。どうだ見たままだ」、
「見たまま過ぎる。色気が無いとな」、
「『初雪や小便すると黄色くポツポツ穴が開く』どうだ。」、
「『初雪や瓦の鬼も薄化粧』、『初雪やせめて雀の三里まで』綺麗だろ、三里というのは足三里(ひざ下)という灸点だな、初雪はうっすらがいいね」
「『初雪やキリンの首の潜るまで』『初雪やこれが塩なら金儲け』」
「ダメだよ。風流なんだから金から離れて『猿飛んでひと枝青し峰の松』、雪と言わなくても分かるだろ」。
 
俳句の楽しみは、人の作品を「読む」楽しみと、自分で「詠む」楽しみがありますが、俳句は、「詠む(作る)」楽しさのほうがずっと大きなものです。
日ごろお作りになっている方もおられると思いますが、俳句の楽しみを広める活動のひとつとご一緒していただければと思います「花の雲鐘は上野か浅草か」この、「はるかに見渡せば、雲と見まがうほどの桜の花の盛り、そこに響く鐘の音。」という誰もが心に思い描くことができる、シンプルで共感しやすい情景・心情を美しく切り取ることが、俳句の醍醐味です。
俳句もほかの文芸と一緒で「自己表現」という人間にとって大切な要求から出発しているのですが、日常のなかから心を動かされたもの、感動を書き留めておきたいという欲求は、俳句という、五七五の音数律という形を通すことで、時に、人と共感し合ったり、新たに感動をひき起こすスイッチとなったりします。
 
俳句の「作句の条件」は、たった三つです。
 峺渕係沺廚硫賛律にする。◆峙┯譟廚鯑れる。「切れ」がある。

俳句は、歴史的には、「俳諧の連歌」の発句から生まれました。連歌は、上の句にほかの人が下の句をつけて一首詠むことから始まりました。鎖連歌から発生した俳諧の連歌は、連歌の形式を生かしつつ俗語や漢語・卑俗、滑稽の情を盛りこんだものですが、この俳諧連歌の始まりの第一句(発句)、客の挨拶の句が独立したものです。発句の「五七五」のみを「座」の文芸から個人の文芸へ独立させることで明治時代に成立したのが俳句です。それゆえ発句の約束(挨拶・「切れ()・季語」)を引き継いでいます。↓の条件がないのが川柳です。
その辺りを意識しつつ、早速、俳句を詠んでみましょう。話を聞きながらお考えいただければと思います。
 
一、席題(今日のテーマ)は「浅草」です。
「浅草+季語+○○」。
浅草を想起できる名や行事・情景を思い浮かべてください。 
 
二、「句切れ」について
俳句には「切れ」があります。発句に独立性(強く言い切ること)が求められることから、切れが生まれました。わかりやすく言うと「どこに句読点を打つべきか」です。この「切れ」は、「語と語の衝突による展開」、「場面転換や完結独立感」「余韻余情」など様々の効果を期待するものです。
この「切れ」については、一例上げて説明しますと
闇の夜は/ 吉原ばかり/ 月夜哉 其角 」
この句は、、「不夜城」吉原の明るさを詠んだもので、「闇の夜は」で切って読み、闇夜でも吉原は月夜のようである、句と言われます。しかし、「闇の夜は吉原ばかり」で切って読むと、この世は月夜だが、吉原は暗黒の夜だと意味が逆になります。切れがスイッチのような働きをして、どこで切るかによって、江戸の町全体が闇に沈んだり、逆に月に照らされたりします
「しんだいしゃたのむ」ですね。
古句に「やみの夜は松原ばかり月夜かな」という句があり、これは明らかに二句切れです。世間は月夜で明るいのに、松原ばかりは繁った枝で中はやみの夜という解釈で、その反対は成り立たちません。この句をふまえて詠んだともいわれています。其角はその「切れ」を変えて意味をそっくり逆転してみせたのでしょう。なお、「助六由縁江戸桜」では、揚巻が花道から登場する時に、「やみの夜に吉原ばかり月夜かな」と「に」で唄われています。円生の「文七元結」も「に」で語られています。
さて、その「切れ」は、「切字」によって示されもします。「きれじ」といってもお尻の話ではありません。切れ字の主なものが、「や」「かな」「けり」などです。「古池や蛙飛び込む水の音」この「古池や」の「や」が強調であり、映像的に、はっきり古い池のイメージを確立させ提示します。
先程の句も「闇の夜や吉原ばかり月夜哉」ならば、闇夜と月夜がはっきり示されて揺れはありません。しかし、これは「や」と「かな」と強調されるもの二つ並べられて「闇夜」と「月夜」どっちだと、二つがぶつかり殺し合っています。俳句でこのように切れ字二つは最も嫌われます。作句の時ご注意ください。(なかには「降る雪や明治は遠くなりにけり(中村草田男)」のような名句もありますが、難しい表現法です。)
 
三、「季語」について
季語とは、春、夏、秋、冬、新年の5つの季節をあらわす言葉です。
季語は3つの特性を持っていると言われます。・季節感・連想力・象徴力です。
今回は、春の代表的な季語を裏側に上げておきますが、季語がどう生きるかについて少し見てみます。
「浅草のひとへ届ける」と五七を詠みました。これに、「紅椿・花菫・チューリップ・桜餅()」とつけてみます。チューリップと桜餅ではやる人と貰う人のイメージがそれぞれに浮かんでくると思いますが、その違いは季語の力によるものと言えます。今度は「赤い薔薇(初夏)」あるいは「枯尾花()」と続けてみます。季語が「チューリップ」だと若々しい恋愛を想わせる句なのに、季語を「赤い薔薇」に変えただけで、その恋愛がなまめかしさを持ち始め、読みようによっては、不倫の匂いまでして来ます。そして「枯尾花」になると、恋愛を超えて、届けたい相手は、もうこの世にいないようにも感じてしまいます。
このように、同じ句でも、それに添わせた季語が変われば、まったく別の句になってしまうのです。
 
句会で「家族」の席題で、ワンパターンの句が並びました
久々に家族の揃ふ蜜柑山
久々に家族揃ふやとぜう鍋
季語と言うものは、ただ単に季節を表すだけでなく、その本意を持って描写と響き合い、作者の伝えきれない想いを表現する力を備えているのです。
描写と季語の取り合わせにおいて、その二つが近すぎてイメージの広がりの無いものを「つきすぎ」、逆に、あまりにも遠すぎてイメージが結びつかないものを「離れすぎ」と言い、そうならないように注意して作ります。
(季語は原則「一句に一つ」です。「季重なり」といって季語が二つ以上入ることは、一方が主であることが明らかなときなどを除いて、通常これを嫌います。 ただし季語としてでなく使うこともあります。季語が二つあるとき季節が違うのは「季違い」といって特に嫌われます。脂の乗ったトロに酢でしめたコハダをわざわざ重ねて握った寿司みたいになってしまいます。もちろん「蛤のふたみにわかれゆく秋ぞ(芭蕉)」のように春(蛤)と秋の季語があっても「蛤」は季語としては扱われていません。「目には青葉山ほととぎす初鰹(素堂)」という句がありますが、この三つ季語が並ぶのは例外中の例外の名句でしょう。)
 
四、俳句の基本
「平明にして余韻のある句」が良いと説かれます(高浜虚子)。平明とは、わかりやすくはっきりしていることです。また、俳句は物や風景をよく観察して、そのありさまを絵のように17文字の中に写し取る文芸だとも言われます。
何気無い日常のひとこまを、携帯やスマホのカメラなどで写すスナップ写真だと思って、俳句を作ってみるのもひとつの方法です。
注意点としまして、「何がどうしてどうなった」とすべてを言ってしまったり、描写と季語がツキスギたり、動詞の多い句などは、どれも説明的で「くどい句」ということで、一般に嫌われます。そのため、「すべては言わない」「描写と季語はほどよく離す」「一句一動詞」というのがまずは俳句の基本になると考えるといいと思います。詠みかたに「取り合わせ」・「ニ物衝撃」と「一物仕立て」の詠み方があります。「花の雲鐘は上野か浅草か」と「春の海終日のたりのたり哉」の読み方です。
写生の仕方を、三つほど示します。
『枯菊を焚くや茎より水蒸気』これは、細部の客観写生句、
『人ごみの中に人垣べたら市』、ちょっとテクニックを使った伝統的な写生句、
『冬の花水の色してゐたりけり』こちらは暗喩をそぎ落とした内面写生句です。
 
五 句作に必要なものは、鉛筆と句帳に、歳時記(と国語辞書)だけです。
遠くに行くこともありません。写真を撮る気になってカメラを持つように、俳句を作る気になって句帳を持って浅草の町を散策すると見慣れている浅草に新しい発見があると思います。
 
俳句を詠む楽しさ
決まったフレーム(五七五)にひとつ世界を表現する自己表現です。
・俳句は座の文芸です。句会・吟行などで仲間と詠み合う、これがさらなる楽しみになります。
「句会」などと言うと、正月にある宮中の歌会始のような紋付きハカマや着物姿で正座して並ぶようなかたぐるしいものと思われてるかも知れませんが、テーブル席にぎゅうぎゅう詰めに座り、使用済みのコピー用紙で作った短冊を回し、選句用紙と一緒にお酒やおつまみが回って来るような座で、俳句を愛する仲間達と熱く俳句を作るというのが本来の『座』の姿のような気がします。自然体で、言葉で遊ぶ楽しさが味わえます。
「吟行」も同じ所に行って句を詠みあうといろいろの面で新しい発見があってこれも楽しいものです。
 
「俳句は挨拶なり。」と言いますが、俳句の挨拶という事と連句から生まれたということの一例として、松尾芭蕉が『奥の細道』の旅の途中、最上川のほとりの句会に招かれたときの「発句」と「脇句」を見てみます。(高野亭跡に芭蕉翁真蹟歌仙の初折の表六句の句碑あり)
・発句 さみだれをあつめてすずしもがみ川 芭蕉()
・脇句  岸にほたるを繋ぐ舟杭 一栄(主人)
この句会が開かれたのは、六月上旬の暑い時期で、芭蕉は旅の疲れを癒してくれた最上川の涼しさに感謝し、この景色を一望できるお宅を賛美しています。これに対して、主人は「いやいや我が家など、蛍を繋ぐための舟杭にすぎませんよ」と謙遜して答えています。蛍とは芭蕉のことをでしょう、解釈すると、「江戸の巨匠・芭蕉翁をお招きするためにご用意した家ですが」と、芭蕉を歓迎する意味になります。たった、これだけの短い言葉のやりとりの中に、これだけの暗喩と意味を盛り込むとは、こののやりとりは、さすがです。
この発句は、松尾芭蕉の『奥の細道』に掲載されている「五月雨をあつめて早し最上川」の原形です。芭蕉はこの後、最上川の水流の激しさは涼しいなどと呑気なことを言っていられるような状況ではなく、「早し」の方が適していると、「奥の細道」に掲載する際には改訂して『五月雨をあつめて早し最上川』の形の名句になりました。この名句も最初は、挨拶として作られたものだったのです。
喜びにつけ悲しみにつけての慶弔贈答の句が詠まれるのもこの挨拶という「発句」の性格によっています。
(なお、発句に対して最後の句は「挙句(あげく)」と言います。「挙げ句の果て」という慣用句がここからうまれています。)
 
川柳について、
同じ五七五の川柳というのがありますが、これは、連句の「平句・前句付」が独立して文芸となったものです。
「付句」とは、七七の題に五七五を付ける「前句付け」をいいます。
「めでたくもありめでたくもなし」に「門松は冥土の旅の一里塚」、
「切りたくもあり切りたくもなし」に「泥棒を捕らえてみれば我が子なり」。
 
終わりに、お噺を一つ。
「翁が山道を歩いていたら、月見の宴があった。村人が『爺さんも出来るかい』と言ったがムッとするところを『三ヶ月の・・・』と書いた。この爺さんもうろくしているな『今夜は十五夜なのに』と言う顔をしたが続けてさらさらと書いた、『・・・頃より待ちし今宵かな』」
これ、芭蕉とか一茶とかの逸話と言いますが・・どんなもんでしょう。
 
本日は、ご清聴ありがとうございました。
お帰りの際、どうぞ一句お作りの上ご提出頂ければと存じます。
 
| 竹馬屋 | 俳句 | 12:33 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
春節に
今日、2014年は1月31日(金)は、旧暦のお正月、春節。
これをきっかけにするというのでもないが、いくらか手抜きの整理をしょうかと思った。

「杉篁庵日乗」というブログの更新は昨年から少なくなっている。特に最近では、先の参院選後は政治的な世の中の動きに言葉を費やすことが意味を成さなくなったと感ていた。

このブログ「杉篁庵日乗」は、たどってみると2005年12月に始めていて、
 刻まれし余りに若き墓碑の名は触やれば指に痛みあるらむ
 見上ぐれば行方定めぬ雲ありて一人佇む暮れなずむ空
という歌が初めの方(2005.12.12)にある。
俳句は2005.12.14に
 落ち葉掃く子等の声冴ゆ朝日和
 立ちのぼるけぶりの揺らぐ小春かな
 境内の銀杏散り敷き猫眠る
 はつ雪の知らせ聞きたり庭に出づ
というのがある。

短歌は以降は見られず、「横雲」の名で「うたのわ」に平成二十三年(2011年)二月から和歌を詠み始めていて、ブログ「朝の雲」(こちらは今「題詠用」になっている)「朝の雲供に記すようになつていつのまにか3年になる。俳句はこのブログ「杉篁庵日乗」で2010年9月まで詠んでいて、それ以降は「杉竹(さんちく)」としてみの俳句のブログ「今日の俳句」を作った詠んでいた。
俳句と和歌を日々詠むことを日課にしたのは、どうも2011年の7月のことらしい。

自分のブログがいくつ生きているかは、どうも判然としないが、現在、日々更新している「今日の俳句」と「朝の雲供廚箸砲覆辰討靴泙辰討い襦
そこで、「杉篁庵日乗」の更新をやめてしまおうかとも思ったのが、手を省いて先の二つに記していたものを一括して「杉篁庵日乗」に記すことにした。

季語を選び、俳句二句・和歌一首、いつまでも続くものとも思えないが、「日課」にできればと思う。

したがってこのブログの更新は以降なくなり「杉篁庵日乗」に移ります。
ありがとうございました。
| 竹馬屋 | - | 11:56 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
古寺の塀に一枝梅早し
早梅の一枝数輪陽をはじく
 
| 竹馬屋 | | 10:53 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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